私が潜在意識と宇宙の法則を信じた訳・前編

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宇宙の法則・潜在意識

私がなぜこんなにも潜在意識と宇宙の法則を信じているか?

それは、今まで生きてきた中で潜在意識や宇宙の法則のなせる技としか、言いようがない奇跡のような出来事が多かったからです!

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潜在意識・宇宙の法則を無意識に使っていた!

私の幼少期

私は不思議なことに、小さい頃の記憶が薄く、本当に断片的にしか残っていません。

なので、本当に小さい頃の自分についは、家族の話から「へぇ〜そんな感じだったっけ??」というような程度で自分がどんな感じで何を思っていたかなどまったくわかりませんw

そのため、幼少期の自分が潜在意識や宇宙の法則を天然で使えていたかは謎です。。。本来子供の頃のほうが固定観念などが少ないため、無意識に使えていることのほうが多いと言われていますが、私自身は記憶がほとんどないためにこの時代については不明です。

小学生の頃

この辺りから記憶はある程度残っているので、実際に検証していきます。

また心のことについて私はいじめ・目をつけられる度が半端なく、小学生からはじまり結構最近までそういう目には頻繁にあっているという危篤な女ですw)は別で記事にしようと思うので簡単に書いていきますが、私は幼少期から小学校低学年まではとても内気な子供だったようです。

そのため、小学校4年生くらいの時に初めていじめにあいました。

よくある集団でのいじめで、給食の際の後片付けなどを一人で押し付けられたり、罵倒されるなどのたぐいです。その時はやはり本当に辛かったですねー…

今なら大騒ぎになるのかわかりませんが、その当時はいじめなどもそこまで大問題になるような時代ではなかったので、とにかくいじめが始まってから半年か1年弱くらいか期間は忘れましたが、ただただ耐えていたように思います。

その後、クラス替えとともに私の精神は限界を迎え、脱皮したかのごとくまったく違うキャラへと変わりましたw(ある意味進化しましたー素晴らしい!)

ここで少しは無意識に違う自分に変わり違う世界に行く、というような宇宙の法則を活用していたかもしれません。ですが、まだそこまで活用していたという記憶はこの段階でもありません。

小学5年生以降は明るく活発(以前からもまあそんな感じもあったのですが、学校でいじめの集団と居る時は違かったのかな?)になり、何事もなかったように普通の生活に戻ります。

中学生〜高校生

この辺りから無意識ですが潜在意識・宇宙の法則を使うことが多くなったと私的には認識しています。

一つ目は、またもやいじめでの脱出方法

中学でもいじめに遭遇、その時は女子特有の「外され」パターンでした。

私は一度そういう目にあった際、相手の人たちを絶対に許すことができないのと、媚びてまた仲良くしてもらいたいとも1mmも思わないので、違う人と仲良くなって以降は外した側の人とはほとんど話すこともありませんでした。

そのため、結局のところどういう理由でそういう目にあったのかなどは未だに謎です。まあ、思春期の女子のすることなので、大した理由はないと思いますが。。

今思うと「媚びてまた仲良くなる」というような自分がしたくない行為をとことんやらなかったのは、我ながら天然で宇宙の法則に従って生きてきたと思います。その結果、不安や憎しみからフォーカスが外れたので、違う望む世界にまた移動できたのだと思います。

二つ目は、好きな音楽に出会った時にピンときたこと

中学2年生の時に、HipHop・BlackMusicに出会い、それがある意味今の私になる最初のターニングポイントにもなりました。BlackMusicに出会って以降、私は音楽を聞くことやクラブに通うことが大好きになり、夜遊びにも夢中になり始めました。

それがきっかけで、東京に出たいと強く思うことになり、上京して以降も同じようにクラブに通い続けた結果、今も大好きで仲の良い友人たちと出会うことができたからです。

こういった自分にとって重要なものを嗅ぎ分ける力・直感力を大事にすることが、潜在意識や宇宙の法則をうまく活用するにはとても大切なことです。

三つ目は、希望の高校に受かったこと

もともと私は絵を描くことが好きで、私立の美術コースに進もうと考えていました。しかし、兄が受験に失敗し私立に通うことになったことから、私は学費の安い県立(地方では公立学校の方が授業料も安く、学校のランクとしても高い)に行って欲しいと親に頼まれたために、仕方なく普通科進学のために勉強を開始することになりました。

その際に、親の希望通りに従ったら高校以降は私の生活に干渉しないで欲しい、というような条件を提示しました。親は学費のためにその条件を飲んだので、私はその約束を希望に親の要求に従うことにしたのです。

その時私は、勉強や進学の心配よりも「自分の高校生活がより快適になる・自分のニーズに合うかどうか」などにフォーカスして高校を選びました。ちなみに、自分のニーズとは

  1. 休みの日も遊びに行きたいから電車の定期を使える学校
  2. 制服が可愛い
  3. 男女共学の高校
  4. 地元の人がほとんどいない高校(小中は地域によって勝手に割り振られるため、同じ小中の人が多い高校に行っても新しい出会いもなくつまらないから)
  5. そこそこの進学校(ただ単に自分のプライド的に)

と言うように、もはや自分に都合の良い学校基準ですw でも、後から考えるとまさにこれこそが宇宙の法則活用してるよね!(自分の望みが明確)と改めて思う次第です。そして、その自分のニーズに合って行きたいなと思った学校は、自分の現状の学力レベルよりも若干高めでした。

受験勉強も受験の半年前くらいからやっと真剣にやり始めた程度で、自分でもそんなに努力をしたという記憶もありません。そして、滑り止めも本命の高校もどちらも自分の学力レベルよりも若干高めを選び受験しましたが、見事どちらも合格しました!

しかも、「特待生」や「進学クラス」といった、その高校・科ではトップクラスに入ることができたのです!これも、「自分の憧れの高校生活=ワクワク」にフォーカスしたことが大きかったのではないかと今では思っています。

高校生〜専門学生

高校時代は、親の希望通りの高校に進学すれば自由に生きて良い、との確約を両親としていたために、本当に自由に過ごすとことができました。とはいうものの、学校ではまたもや高校入学後すぐに同学年のイケてるグループ女子に目を付けられ、しばらくは嫌がらせを受けたこともありましたw

なんでしょうね、なんか目に付くんですかね、私の存在とは。。

まあ、それも結局1年弱経過した頃に、私もそのイケてるグループ(自分で言うのもなんですがw)に入り、より充実した高校生活を送ることとなりました。この辺り、相変わらず無意識に辛いことよりも望む現実にフォーカス(私的には負けず嫌いからのここに着地だっかのかな?と今では思いますが)した結果、良い方向に転換されたのかなぁと言う感じです。

高校生活は、最初の1年目以降はほとんどを夜遊びとバイトに費やし、お金もバイト代があったので自由に使うことができたために、新しいことやいろいろな経験ができたいい時代だったと思います。

その後、何も考えずに遊んでばかりいたのと、中学生の後半あたりからはファッションの仕事に興味を持ち始めたため、大学ではなく東京のアパレル専門学校に進学することになります。

その際にもまたもや私は、進学よりも自分の生活をどうしたいかの方が大事だったので、東京での一人暮らしを目的にアパレルの専門学校を選びました。最初は一人暮らしに反対されたものの、結局地方から都内の学校に毎日通うのは無理なので3ヶ月後には見事自分の望み通りに上京させて貰うことができました!

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結局すべて望み通りになっている

この後、上京後〜社会人になってからも多々エピソードがあるのですが、長くなってしまったので中編へと続きます。

改めて人生を振り返ってみても、いろいろ端折った箇所はありますが要所要所では結局のところ「すべて望みが叶ってるじゃん!」と思います。そう、なんだかんだいって、自分がこっちがいいな〜という人生の流れにはなっているんじゃないかと。

前編の時代は潜在意識も宇宙の法則もまったく知りませんでしたが、根っからの負けず嫌い根性と自分を信じることの力技で、ピンチを切り抜けてきた感じだと思います。もともとネガティヴ思考が強め・心配性な性格だったのもあり、それらを含めて検証してみると面白いように要所要所で現実にそれらが織り交ぜられているのではないでしょうか。

こんな感じで、みなさんも一度自分の人生を振り返ってみると、実のところは「自分がその時に思った結果になっている」ことのほうが多いかもしれません!

コメント

  1. […] 幼少期の美術系の夢は母からの説得により早々に諦め(興味ある方は詳しくはこちらをどうぞw)、成長する過程で華やかなアパレルの世界に憧れシューズデザイナーになったものの、実 […]